宗教三世の僕が家族と絶縁した話

【注意】

  • この記事では家族という概念に否定的な表現やしょーもない自分語りが大量に現れます。
  • 親から逃げるための具体的な方策を記している記事ではありません。
  • 一応カモフラージュのために多少事実を隠したり変えたりしていますが、話の根幹には影響していません。

 

以上を踏まえてご覧ください。

 

 

 

はじめに

実家が嫌すぎてある日仕事に行くふりをしてそのまま失踪しました。

今僕がどこに住んでいるかは家族の誰も知りません。

何年か経って生活がだいぶ安定したのでこの記事を書いています。

 

 

自身の家庭環境について

簡単に言うと、僕は宗教三世というものです。祖父母が宗教を始め、それが両親を伝って僕の代にも影響していました。つまり家の中では宗教における教義や考え方ですべてが判断されます。

 

進学先や就職先、住居や車など、大きな選択をする時には必ず神に祈って決めるのが習慣になっていました。上手くいけば神様の力のおかげ、上手くいかなければ自分の信仰心が足りなかったせい、と解釈されます。そうした中では家族で相談して物事を決めるという能力が育たないので親に何かしらの判断を仰ぐこと自体が無意味でした。

 

片親は結婚する時に入信を拒絶しなかったの?という方、鋭い。それがあったら家出にはならなかったかもね…結果的には二つ返事だったそうです。バカはバカと結ばれるんだなあ…

 

それは置いといて、基本的に親は子に宗教活動をさせます。宗教は信者がいないと存在できないので、後の世代の信者を育てる必要があります。子は親のコントロール下にあるので、親は子に布教すべしという教義はどんな宗教にも共通するのではないかと思います。

 

僕も例に漏れず、しかも長男という後継ぎ筆頭の身分であったため、家庭でしっっっっっっかりと教育されてきました。宗教家の子は後継ぎとしての役割を被せられて様々な選択に干渉を受けるというのがこの話の大きなポイントになってきます。

 

宗教家の子にとって親の愛情を貰える手段は宗教活動を頑張ることだけです。僕自身も実家で過ごした二十数年に渡って、宗教活動さえ頑張っていれば何でも許されたし、他が完璧でも宗教活動をサボるとネチネチネチネチ文句を言われました。

 

宗教活動は質的にも量的にもかなりきつかったです。毎日日が昇る前に起きて数時間経文を読んだり、休日は信者で集まって偉い人の話を半日聞いたりしていました。日曜日に集会があると、前日に遊びに行って暗くなってから帰ってくるだけでかなり怒られました。

 

とにかく時間的拘束が酷く、会社を休んでまで夜中に山を登らされる修業や数時間正座しっぱなしの修業などが日常的にありました。

 

ちなみに父親は基本的に僕に無関心で、宗教活動について小言を言いたい時だけ話しかけてきました。母親は逆に過干渉タイプで、ヒステリーを起こしやすいしパートをすぐ変えてはすぐ辞めるし、人格がどうかしていました。

 

母親はごくまれに泣いたり暴れたりすることがあったし、怒らせて食事を与えてもらえなかったこともあったので、自分の身を守るために親に反抗しないようになりました。話が逸れるので詳しくは語りませんが、反抗期が来なかった人間は間違いなく歪むと思っています。

 

このような両親に囲まれて育った僕の人生において、親に怒られないことが行動原理になっていきます。

 

 

僕の来歴

中学生まで

中学生までを振り返ってみても、この時点ではまだ宗教活動のせいで人生が歪んだと思うような経験はしていません。通学中にうんこを漏らしたことや、治安の悪い公立中学校に通っていたこと自体の方が暗い思い出です。親がちゃんとした知能と金を持っている家庭では、勉強のできる子はちゃんとした中学校に通えると思います。

 

高校生

不運なことに僕はお手本のような自称進学校に入ってしまいました。教師陣があまりにもやべーやつ揃いで、クラスメイトが蹴っ飛ばされたり坊主を強要されたりしてるところを見てきたので大人しく勉強をするしかありませんでした。

 

宗教活動においても、学生のうちに勉強を頑張るということは大変褒められる行いだったため、周りの怖い大人を怒らせないためには勉強をしておくしかないという防衛本能だけで学力が上がっていきました。

 

校内で何度も成績トップを独走し、自他ともに優等生と認められるようになりました。上手くいっているのは勉強と宗教活動を両立できているからだと色んな信者に褒められ、自分もそういうつもりになってしまっていました。この頃はまだ、自分の境遇について幸せだとすら考えていました。

 

名誉のために言わせていただきますと僕は東京大学を受験するも不合格、浪人はせずに実家から通える大学に進学することになりました。

 

志望校を決める三者面談では僕にこれといった発言権は無く、なんか東大を受けることになっていたしついでに親のゴリ押しで実家から通える大学を受けることになっていました。僕自身は勉強したいことがなかったので適当に生物系の学科を志望しました(ちなみに教師のゴリ押しで理科は物理と化学を選択していました)。

 

大学に入るまで、「なんやかんや実家から大学に通えることで宗教活動も支障なく続けられるしむしろよかったのでは?」などと本気で考えていました。東大落ちてよかったわけないだろ。

 

大学生

大学生活を経て自分の家庭環境のおかしさを理解し始めます。

 

高校では自分が優秀な生徒だという自信でいっぱいでした。しかし大学というのは同じ学力の人間が集まっているので、お勉強だけじゃない何か突き抜けたものが無いと優秀と認められることはありません。むしろ僕はスタートが相当出遅れていた部類だと気づくのにそう時間はかかりませんでした。

 

当たり前すぎることですが、目的意識があって大学に入った人ほど頑張って勉強します。僕は大人から身を守るためだけに勉強していましたから、大学でやりたいこともなければ学びたいこともなかったですし、無気力状態に陥るにはそう時間を要しませんでした。大学の先生は単位が取れなくても怒らないし、親は高卒なので僕の悲惨な成績を見てもそれが悲惨であることをわかりませんでした。GPAは防御率なので低いほど良いと言えば簡単に切り抜けられました。

 

自分の志した道で頑張ってる人と比べるとどうしても自分の育ちが悪いと感じてしまいます。そしてその責任は家庭にあるのではという疑いを持ち始めました。突き詰めていくと、親に学歴がないので、勉強することに投資をしてもらった経験が圧倒的に少ないと気づきました。学問を生業にできるような人は、周囲の環境がそれだけの土台を作ってくれていたのだと思います。

 

それと同時に、宗教活動に圧迫されることで自分のために使える時間が少ないことを気にするようになっていきます。何かに打ち込む時間が決定的に欠けており、ちょっと空いた時間をTwitterやソシャゲや音ゲーで浪費する空っぽ人間になってしまいました。留年をしたわけでもなく、友達がいなかったわけでもなく、悲惨と呼ぶ程でもない大学生活でしたがなんかいつの間にか終わってたという感じでした。

 

それでも大学で色んな人の考え方やバックグラウンドに触れられたのは大きな財産となっています。この経験があったからこそ自分の考えをしっかり持つようになったし、自分の境遇を客観的に見るきっかけを得ることができました。そして、宗教の教義に判断を任せてしまうことに馬鹿馬鹿しさを感じるようになりました。すごく簡単に言うと、"目が覚め"ました。

 

ですがこの時期はまだ人生に希望を見つけられないだけの状態でしたから、宗教活動に恨みがあって絶対に辞めたいといった積極的な願望すら持てずにいました。大学を卒業するまで惰性で活動を続け、なんとな~く適当にこなしていきました。

 

社会人

勉強がもう嫌だったので、大学院に進むことは全く頭に無く、学部卒で就職することに決めていました。就職活動における親の干渉は酷いものでした。教義的には、宗教活動に影響が出ないようちゃんと土日は休めて実家から通える会社を選ぶことが良しとされていました。例に漏れず僕もそのような就職先を探すようにしつこく言われて、もともと無かった気力が突き抜けるように落ちました。今までの人生を振り返ってみても、希死念慮が一番強かったのはこの時期だと思います。

 

とりあえずヤケクソで就職先を決めました。親もダメと言わなかったのでもう何でもいいやという気持ちでした。結果的には会社の協力があって家出は無事に成功します。人生何があるかわからないですね…。

 

社会人になるとただでさえ自由時間が減るのに加えて宗教活動の拘束時間がさらにデカくなり、趣味の時間を確保することすら厳しくなっていきました。信者曰く、一生を通して見ると宗教活動が一番忙しいのは20代から40代の頃だそうです。何かと色んな催し事の運営に駆り出されたし、年間で3名に布教しなさいなどの色んなノルマが付いて回るようになりました。もはや土日は休日ではなくボランティアの日となってきていました。

 

 

そして追い打ちをかけるように親の過干渉がエスカレートしていきました。社会人になったのだからもっとしっかりしなさいというお題目で散々小言を言われました。ストレスで不眠症気味になったせいで仕事も上手くいかず暴飲暴食が増え、そのことでさらに干渉を受けるという酷い循環でした。

 

経済的に自立していた分就職活動の頃ほどの死にたさはありませんでしたが、自分以外の人間はみんな楽しく立派に生きていて、自分だけが惨めな人生を送っているという気持ちが続きました。若い男女が子供を連れて歩いているのを見て、「同世代の人の中には、自分のために時間を使うことにはとっくに満足していて子供のために生きるフェーズまで来ている人もいる」と感じることが幾度となくありました。

 

ずっと実家にいたら親の望む長男像をロールプレイしていくだけで人生が終わるんだと危機感を持ち始めました。もう経済的に親の力を借りる必要はなくなっていました。1年働いたあたりで家出を考え始めました。

 

親と話し合って1人暮らしさせてもらうという考えはありませんでした。親がとにかく感情的で話し合いのできない人間であるというのはちゃんと理解していました。

 

最初に実家のことを相談したのは大学の友人でした。宗教活動のことをカミングアウトするのに生まれてから実に23年を要してしまいました。カミングアウトする瞬間の感覚は今でも思い出せます。その時、軽く受け止めてもらえたからこそ人に頼る選択を取れるようになったのだと思います。そして他の友人や上司にも少しずつ話をできるようになり、それからちゃんと家出計画が形を持ってスタートしました。

 

親に気づかれずに一人暮らしの準備をするためにはそもそも平日に休みをとれるように計画をする必要がありましたが、上司に相談していたおかげで比較的苦労が少なかったと思います。上司は僕の境遇について理解を示してくれただけでなく、上手く仲介して役員にまで話を持って行ってくれました。やっつけで選んだ会社に自分の人生を救われるとは思っていませんでした。

 

家出を計画し始めてから半年の間こそこそと準備を続け、無事に成功しました。何をどうやったかについては趣旨が変わってしまうので丸ごと省略させていただきます。ただ、決してあっさりできてしまったわけではなく、めちゃくちゃ神経をすり減らしながら時間を捻出してなんとかやり遂げることができた、ということだけは理解していただきたいです。

 

 

家出して何が変わったの?

家にいると落ち着く

家に帰って来た時に家に誰もいないと気が休まります。家は心身を休める空間なので、他人がいるのは非効率です。家に自分以外がいると、何を食べるかとか、明日の予定がどうだとか、何かと言葉を交わすことが必要になります。過干渉を受けた僕にとっては、他人に自分のことを把握されるのが苦痛です。自分のことを自分だけが知っていればいい環境になったことでかなりストレスが減りました。

 

めちゃくちゃ時間がある

これまで宗教活動に費やした時間や、実家からわざわざ遠い勤務地まで通っていた時間を鑑みると、家事を全部自分でやっても面白いくらい時間が余ります。遊びの予定を泣く泣く見送ることがなくなり、やっと自分のために時間を使えるようになったんだなと感じています。

 

料理が楽しい

1人暮らしを始めるまでは家事はすべからくめんどくさいという先入観が強かったのですが、いざ自炊してみると料理を趣味にするのっていいなと思うようになりました。1人でもできる趣味なのでタイミングを選ばないし、食べるのも自分1人なので自由にメニューを決めることができます。特に2020年は外出がしづらい年だったのでだいぶ上達したと思います。結果的に趣味が1つ増えたので生活が少し潤いました。

 

身だしなみがちゃんとできる

実家にいた頃、風呂に入るとか歯を磨くとか髭を剃るといった、人間の形を保つための最低限の行為が苦痛でした。今になって思うと、鬱病のサインと同じなので普通に危険でしたね。今ではそういった身だしなみを整える行為を何一つめんどくさいと思いません。冗談抜きでやっと人間になれたと思っています。

 

他人の幸福を摂取しても死なない

まだ完治してないですが、知人に幸せなことがあったら素直に喜べるようになってきました。それこそ自分が今の生活にある程度満足しつつあることの裏付けだと思います。まだ完治してないと書きましたが、「それに比べて僕は…」という気持ちになりがちなのも事実です。これに関しては、「もう親の束縛からも抜け出したんだから自分が幸せになれないのは全部自分の責任だ」という考えを持ち始めているからだと分析しています。

 

なんか仕事が頑張れる

ついでに仕事に身が入るようになりました。これは自分の力だけで生計を立てなければいけないプレッシャーもあるかもしれません。でも、私生活でメンタルを休められるようになったことで公私の切り替えがちゃんとできるようになりました。一緒に働く人が助かるような仕事をしたいということをいつも頭に置いて働けるようになりました。会社からの評価もかなり良くなって、今ではかなり上手くいっている方だと自信を持っています。上手くいかなかった日に酒で流そうとするのはまだまだ未熟ですけどね。

 

 

逆に一生治らない傷は何?

家庭はいらない

家に自分以外の人間が暮らしてるのが無理なので家庭を持つことはできそうにないです。これにより普通の人間が歩むような人生を真似することは不可能になりました。僕は僕なりに好きなように、太く短く生きようと決めました。

 

喧嘩ができない

深い人間関係を築くには、時に意見のぶつかり合いがあってそれらを擦り合わせながら互いの落としどころを探すといったプロセスが必要だと気づきました。普通に生きてると、反抗期を迎えて家庭の中でそのやり取りを経験するものだと思っています。しかし僕は先に書いた通り親に抵抗せずに育ってしまいました。僕は他人に怒る気力をそこまで持っていません。自分が妥協することで他人との衝突を避けられるのであればそうした方が楽だと本気で考えています。考え方が合わないなと思った人と適度に距離を置くというのは必要な能力だと思いますが、それは社会性の話であって人間性の話ではありません。自分はなんやかんや言っても幅広く色んな人と付き合えるタイプだと思っていますが、誰かにとっての一番になることは一生なさそうです。

 

自分のための努力ができない

「他人を怒らせない」という行動原理はなかなか覆せないままでいます。自分で頑張ろうと決めたことを途中で投げ出したくなったとしても、他の誰にも迷惑がかからないのであれば簡単に諦めがついてしまいます。筋トレとか読書とか勉強とか、一人暮らしを始めてから頑張ってみようと試みたことがたくさんありますが、何もかも挫折しました。2021年は近所のバッティングセンターに通って年間で5本くらいホームランを打ちたいなと考えています。これまで何度も失敗を重ねてきたので、一定期間内に何かを何回か達成するという頑張り方を心がけています。とは言え、目標を確実に達成するために特別な訓練を考えて取り組むといった能力はやっぱりないです。

 

キャラ作りが激しい

宗教家の子かどうかとは無関係な話になりますが、親から愛情を受けるために厳しい条件があると大きくなってから成果承認に拘るようになります。「自分が人と仲良くなるにはそれだけのメリットがあることを提示しないといけない」という感覚で人付き合いをしてしまいがちです。人間関係を利害関係と捉えると変になっていきます。大学、そして社会人と環境が変わる度に周りにいる人が変わってきましたが、その度に集団の中でアイデンティティを確保するためにキャラ作りをしてきました。全くもって意識的にはやってないですしそういう意味では自分の素の一面と言ってもいいのでそこまで気にしてはいないですが、自覚してしまうとかなり恥ずかしいですね。

 

 

結び

宗教家の長男であることのハンデをまとめるとこのような感じになります。

  • 宗教家の子は後継ぎとしての役割を被せられて様々な選択に干渉を受ける
  • 宗教家の子にとって親の愛情を貰える手段は宗教活動を頑張ることだけ
  • 厳しい条件下では親に怒られないことが行動原理になっていく
  • 親に学歴がないので、勉強することに投資をしてもらった経験が圧倒的に少ない
  • 親の望む長男像をロールプレイしていくだけで人生が終わる

 

僕はたまたま血縁を疑われるレベルで頭が良かったので客観的に自分の不遇に気づく余地がありました。

 

僕は宗教で苦しみましたが、教育ママに苦しむ人なども似たような思いをしているのではないでしょうか。

 

このような環境で育った人は程度の差によっては"無敵の人"として犯罪に手を出すことだってあり得ます。

 

僕だって、家出のタイミングを逃して判断する力を失うまで弱ってしまった末に親を殺していた可能性だってあります。

 

子は親を選べないし、親も子を選べないので、不和合を起こす家庭は必ずあるはずです。

 

ですが、親は遺伝子が近いだけの他人なので縁を切っても生きていけます。

 

似た境遇にいる人たちだって、頑張った先に人並みの自由を手にするチャンスくらいはあってもいいと思っています。

 

これを読んで人生の何かが少しでも変わる人が1人でもいたら、これを書いた甲斐があったと心から思えます。

 

これを以て今年最後の記事とさせていただくつもりです。

 

どうか皆さん、幸せな2021年をお過ごしください。